洋上マッタリーニ

清々しい砂利浜の後、たいやき号でその辺ラバってきた。

ソコリに帰港したら浅過ぎて係船ロープまでたどり着けないことが発覚。
決断の速いたいやき船長が自ら半ダイヴ!!(笑)

ん〜っ、早くも夏の匂いがします。

complex blend of Gela and Tako


ゼラから釣りのお誘いがあり、沖に出てきましたYO。

これは珍しいこと。どうやら春のオオマサがまわってるらしく、当の本人が興奮状態。

「20kgを見せてあげるから行かない?行くやろ?タコヤキくんも行かないかなぁ?」…前日には三度も確認の電話が入る。

…い、行くから(笑)

タコヤキも誘って三人で出港。気になってポイントを聞くのだが、「オレを信じろ!」と、一点張りのゼラ。
どうやら我々の行く末えは脳内ゼラチン・ダウジング・システムに委ねられるもよう。
しかも時合までは7時間あると言う。なんて豪快なんだ。
ま、とりあえずは夕方のソレまではのんびりやれや!ということらしい。

最初のポイントはおそらく潮目とブイで決定された。

「はい、落として〜!」

言われるままにジグを沈めるタコヤキとわたし。水深は50mほどか…。
妙にモチベーションが上がらないままシャクリます。
船長ゼラは「最近体力が無いのよ」とベイトタックル。しかもただ巻きじゃないですか!
ピックアップしたルアーを見てびつくり!ナヌッ!タイラバじゃないですか!?オレら持ってきてないし〜っ(笑)

次の投入でゼラのロッドに変化が…

「来てる来てる!…よっしゃ乗った!ホラッ!」

「プルってる、プルプルきてるよ〜!」

見ると、確かにティップは豪快に入ってるし、プルプルしている。

うん、プルプルしている。

潮流で押されるブイのアンカーロープに確かにヒット!

顔を赤らめるゼラ…かわいい。

もちろん何が来てもおかしくないエリアではあるのだが、ここで船長に失礼ながらも移動を提案。

すると突然何者かに電話をかけ始めるゼラ。

「どこ?どの辺?」

どうやら闇情報網が存在するっぽい。
二件ほどとやりとりした後で船は沖で操業するヒラス船団の近くへ…。

「とりあえず漁師の近くなら間違いないから…云々」

そういいながらカブラを沈めるゼラ。

数投で直ぐにプルってきたようで、スウィープに合わせを決めると今度は本命?らしい。
なかなかの絞りを制してランディングしたのは5kgのマダイでした。

そのやりとりに見とれてステイしていたタコヤキのジグにもヒット!

完全にカメラマンと化すわたし。

ゼラ、移動の度にヒット!

☆☆☆☆も来たっ!

☆☆☆☆

一個しか無いゼラのラバーでタコヤキも追加。

ゼラ「食べる・・・X◯△×」

クウル「・・・何?聞き取れないぞ!」

ゼラ「食べる前に・・・X◯△×

この魚の唇が気に入ったという・・・。

サザナミダイ
シロダイ

静かなる洋上


幸由丸から電話。「明日、女島行くぞ〜」と。

「あ〜そ〜ですか〜」と。

そんなわけで、朝っぱら3時半から男女へ。

まあ、市内ですからね。すぐそこですよ。40マイルですか・・・。

遠いな。

それでもまあ、6時には男島到着。鏡のような海でしたから。


船長はいいとこたくさん知ってるので安心です。

カンパティ〜がポロポロ釣れましたです。
ネリゴにしちゃあいいんじゃないでしょうか?クラスです。

わたくしはソレを4本、ヤイトを1尾のみ。

ヒラスは船中1本のみで、このお兄ちゃんが釣ってしまいました。(オレのなのに)

【女島灯台】

でもまあ、この景観がレアですし・・・。「よし!」としよう!

またいい時に行くぜ!男女群島!

灯台及び女島の歴史

女島は、遣唐使(南路)を派遣した時代では大陸と日本列島との間にある一つの島として目標とされていたことからもわかるように航海の要所だった。そんな、女島は見上げるような断崖が続き、一年を通して海上は平穏ではなく近づきがたく上陸もしにくい島であり、この灯台を建設するのは非常に骨が折れたという。1925年(大正14年)6月2日に着工した工事は、1927年(昭和2年)7月8日に完工を見て、同年12月1日に初点灯した。ところは女島の南端、屏風ヶ浦の100mあまりの断崖の上である。工事は、船着場・道路の整備から始まり、資材の運搬と、ここではすべてが人力であった。工費は、当時の額で約15万円で大瀬崎灯台の工事と比べても、よりハードだったのがうかがえる。1927年(昭和2年)12月に、日本の灯台における最初の公衆電報取扱の電信局がおかれ、1941年(昭和16年)10月1日には、無線方位信号所が設置され、さらには1956年(昭和31年)6月1日には船舶気象通報業務を加えて、ここの重要度はアップした。電信局と無線方位信号所の業務は廃されたが、今でもここで観測される気象データは、気象庁に送られ活用されている。 2006年11月11日までは全国で最後の、灯台守と呼ばれる職員が勤務する灯台であったが,翌11月12日より完全自動化され無人の灯台となった。『ウィキペディア(Wikipedia)』